美容室で守破離を考える

先日、いつもの美容室へ行きました。

カットはもう10年近く、同じ担当の方ですが、シャンプーはいつも違うアシスタントさんがしてくれます。

特にこだわりがないので誰でも良いのですが、この日はとても良い感じの人でした。

すごく安定していて、余分な動きがないんです。

 

 

他のアシスタントさんの場合、手が右へいったり左へいったり、戻ったり。。。

また、終わりがけに「洗い足りないところはございませんか?」と尋ねられ、「大丈夫です」と答えているのに、その後もあちこち洗い続けたり。。。

美容室のシャンプー台は身体を傾斜にして首で支えるので、「大丈夫って言ってるのに、いつまで洗ってるの?!」と思うこともあります。

 

それなのに、この日の担当の人は、ムダなくとても短時間で洗い上げてくれました。

そのことに気づいたとき、思ったんです。

恐らく、美容室ではシャンプーの手順があって、新人のときにそれを教わるのだろう、と。

ただ、多くのアシスタントさんは、やっているうちにその手順が崩れて、なんとなく手のいくところを洗ってしまい、どこを洗ったかわからなくなって、いつまでも洗い続けることになるのでしょう。

 

 

最初に教わる手順というのは、何代もの美容師さんが積み上げてきた基本(その時点でのベストな洗い方)のはずなのにです。

このアシスタントさんが、基本を意識してシャンプーをしていたのか、それとも、基本が身体に沁みついていて、無意識でもそれができる人なのかはわかりません。

でも、無意識でも基本ができる人だとしたら、この先、その基本を崩す時期が来るはずです(十数年後かもですが)。

なぜなら、基本は万人向けのベストですが、相手によっては手順を変えた方がより良い場合もでてくると思うからです。

 

 

ここで、【守・破・離】という言葉が思い浮かびました。

守破離(しゅはり)は、日本の茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方の一つで、それらの修業における過程を示したものです(Wikipediaより)。

師弟関係のあり方なので、”守”は、師の教えを守り、”破”は既存の型を破って独自の型を作り、最後の”離”で、師の教えと独自の型を探究していくことで、型から離れて自在になる状態を言うようです。

 

 

人生も同じように、この【守・破・離】を繰り返しながら進みます。

今、私自身も、そして私が深く関わっているクライアントさん達も、大きな”破”を体験中です。

 

 

人生の場合、”守”は師匠の教えというより、何十年もかけて積み上げてきた自分の生き方です。

その生き方を破らなければならないので、”破”は本当に大変なんです。

しかも、生き方というのは芸道のように意識的に学んだものでなく、無意識に選んできたものです。

破ろうにも、自分がどういう生き方を選んできたのか、さえわからないのですから。。。

 

 

この”守”から”破”へ進むところが、コンシャスライフでいう人生の方向転換です。

顕在意識がこれまでどおり”守”の生き方をつづけたいと願ったとしても、”破”に進むの時期が来ていたなら、潜在意識は望まない現実を創り出します。

誰もが、望まない現実が起きると感情を大きく揺さぶられます。

でも、そんなとき、人生は【守・破・離】を繰り返すのだと知っていたら?

 

 

それが潜在意識からの「過去を守り続けるのをやめて、新しい生き方に進む時期だよ」というメッセージだと読み取ることができれば、抵抗してグルグル同じところを回ったりしなくて済みますよね。

そして、新しい生き方・考え方・思考の方に変化しようとすると、現実も後押ししてくれるんです!

そうやって潜在意識とともに現実を作っていくのが、コンシャスライフです。

 

 

最後に、人生において”離”はどういうことだと思いますか?

(死ぬことではないですよ^^!守破離は人生で何度も起きます。)

面白いことに、意識的に人生の方向転換をすると、古い生き方を認めた上で、新しい生き方と融合することができるんですよね!

それは、”守”から”破”に進むとき、”守”を否定するのではなく、その価値を認めた上で、新たな”破”を選ぶからだと思います。

 

 

融合して、どちらも当たり前に使える自分になったときが、”離”なのだと私は思います。

どんなに苦しい思いで”破”を過ぎたとしても”離”までくると、どのクライアントさんも「そんなことありましたっけ^^」と言うんですよね。

それは、方向転換から完全に抜けた証明なので、私にとってはとても嬉しい出来事なんですけどね\(^o^)/

 

 

【守・破・離】はどれも大切なプロセスです。

今の自分がどこを生きているのか、意識してみると良いのではないでしょうか?