なら、間違えればいいさ!

あるテレビ番組での中学生の娘と、その母親の会話です。

大切な友人のことを思って悩む主人公が「正しいことを頑張ろうとすればするほど、どんどんひどいことになっていく」と相談した母親の口から出る言葉がすごいんです。

次の写真から番組名がわかる人もいるかもしれませんが…(^o^)


※すべての写真は完全無料画像コミュニティからダウンロードしています。

(番組より一部抜粋)
ーーーーー

娘「友達がね、大変なの。やってることも言ってることも、多分、間違ってなくて。。。なのに、正しいことを頑張ろうとすればするほど、どんどんひどいことになっていくの。」

母「よくあることさ。悔しいけどね、正しいことだけ積み上げていけばハッピーエンドが手に入るってわけじゃない。むしろ、みんながみんな、自分の正しさを信じ込んで意固地になるほどに、幸せって遠ざかっていくもんだよ。」

娘「間違ってないのに、幸せになれないなんてひどいよ。」

母「うん。」

娘「私、どうしたらいいんだろう。」

母「そいつばっかりは、他人が口を突っ込んでも、きれいな解決はつかないね。」

(間)

母「たとえきれいじゃない方法だとしても、解決したいかい?」

娘「うん。」

母「なら、間違えればいいさ。」

娘「えっ?」

母「正しすぎるその子の分まで、誰かが間違えてあげればいい。」

娘「間違える?」

母「ずるい嘘ついたり、怖いものから逃げ出したり、でも、それが、あとになってみたら正解だったってわかることがある。本当に他にどうしようもないほど、どん詰まりになったら、いっそ思い切って間違えちゃうのも手なんだよ。」

娘「それが、その子のためになるってわかってもらえるかな?」

母「わかってもらえないときもある。特にすぐにはね。言ったろう、きれいな解決じゃないって。。。その子のこと諦めるか、誤解されるか、どっちがマシだい?」

(間)

母「まどか、あんたはいい子に育った。嘘もつかないし、悪いこともしない。いつだって正しくあろうとして頑張っている。子どもとしてはもう、合格だ。だからさ、おとなになる前に、今度は間違え方もちゃんと勉強しておきな。」

娘「勉強…なの?」

母「若いうちは怪我の治りも早い。今のうちに上手な転び方を覚えておいたら、後々きっと役に立つよ。おとなになっちゃうとね、どんどん間違うのが難しくなっちゃうんだ~。背負ったものが増えるほど、下手を打てなくなってなる。」

娘「それって、辛くない?」

母「大人は誰だって辛いのさ。だから、酒飲んでもいいってことになってんの(笑)」

娘「私も早くママとお酒飲んでみたいな。」

母「さっさと大きくなっちゃいな!辛い分だけ楽しいぞ、大人は!」

ーーーーー

これは、テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の第6話にでてくる主人公まどかと母親の会話です。

 

 

『魔法少女まどか☆マギカ』は、何年か前に総集編としての『[前編] 始まりの物語』『[後編] 永遠の物語』を見たことがあり、その世界観が気に入りました。

中学生の女の子達が魔法少女になって魔女と戦うという話ですが、実はかなりのダークファンタジーです(裏がある)。

7月から本編の再放映が始まったので、録画して見ていたんです。

 

 

このお母さんの言葉、すごいですよね!

子どもに「間違えればいいさ」と言える強さ。

これが言えるということは、このお母さんも

「何度も間違えて、上手な転び方を覚えてきた経験」があるのだと思います。

そうでなければ、言えないですよね。

 

 

私は、潜在意識のカラクリを学ぶまで、「間違えないこと、転ばないことが良いこと」と思っていました。

だから、上手な転び方を学ぶことよりも、なんとか転ばないようにと生きてきたように思います。

40歳・50歳を過ぎても、新しい生き方に挑戦するときはやってきます。

そんなとき、間違えること、転ぶことを怖がっていると、なかなか前進できないんですよね。

では、若い時に学んでこなかったとしたら、どうすれば良いんでしょうか?

 

 

まず、「間違えればいいさ!」と言えるのは、そこに圧倒的な信頼感があるからだと思いませんか?

ここでは、母親が娘を信頼しているから、「この子は大丈夫!」と思えるから、その言葉を言うことができます。

間違えても、転んでも、挫けずに立ち上がって進んでいけるという信頼。

 

 

新しい生き方に挑戦するとき、自分に対して「間違えればいいさ!」と言えないのは、自分自身の立ち上がる力を信頼できないから。

だから、間違えること、転ぶことを怖がって進めなくなるんですよね。

 

 

私は潜在意識のカラクリを学び、体験し、実践していく過程で、圧倒的に自分の潜在意識を信頼することができるようになりました。

だから、「転んでも大怪我することはない」と思えるようになったんです。

たとえ転んでも、ちゃんと立ち上がって進んでいける程度のことだと(^^;>

例えば、子どもは、転んで痛い思いをすることで、次に転ばないように注意する力が養われたりしますよね。

生き方を変える(方向転換する)ときの大人も同じなんです!

 

 

ただ、『思考の現実化』で難しいのは、潜在意識が「転んだら大怪我するに違いない」と思いこんでいると、実際に「大怪我すること」を現実化します。

たった5%の顕在意識が「転んでも大怪我することはない」と思いこもうとしても、結局は「潜在意識が何を考えているか?」ですから。

だからこそ、潜在意識にある思考を分析し、それを変える必要があるのだと思います。

 

 

このアニメの母娘の会話を見たとき、自分の中の母親の部分と子どもの部分が対話しているのを見せられている気がしました。

こういう作品を作ってくれる人達がいるということに感謝ですね!