プロフィール

コンシャスライフ研究所 所長

ビジネスハート・プロデューサー 井上 阿佐子(いのうえ あさこ)

1962年、愛知県名古屋市で生まれる。

小学生の頃から本を読むのが好きで、学校の図書室の本はほとんど読破した。
また、母が「なんでも体験させたい」という考えだったため、学校から帰ると毎日習い事へ行っていた。 学習塾、そろばん、書道、ピアノ、クラシックバレエに茶道・華道・・・。
長続きしないものもあったが、自分から「やりたい」と言って始めたクラシックバレエは10年、茶道・華道は25年続けた。 高校時代は学生会に関わり、学園祭や体育祭などの運営に携わった。

その後、コンピューターのプログラミングに関心を持ち、情報処理科へ進む。医療機関のシステムを構築するIT企業に就職し、アセンブラ言語(マシン・ランゲージに一番近い)によるプログラミングを主体にシステムの構築を学ぶ。 数十億円規模のシステムの重要部分を設計・構築するなどして、20代後半は打ち合わせのため週1回程度出勤する在宅ワークも経験する。その後、後進の育成にあたるため管理職となり、8人の部下を持ってチームを作る。

1997年 35歳の時、友人の紹介であるヒーラーさんに出会い、そこでスピリチュアルな世界のことを学ぶようになる。そして、それまで順調に仕事をしてきたにも関わらず、自分の未来に希望が感じられなくなっていることに気づく。
「私は本当に自分のやりたいことをやっているのだろうか?」
「このまま10年、20年、このまま生きていくのだろうか?」
という疑問と、自分でも気づかなかった身体の緊張(こわばり)を感じるようになる。
あまりに固まっていて痛みさえも感じなくなっていたのだ。
瞑想や気功、ヒーリングなど、とにかく「心からやりたいと思うことを探すため」、自分の心を見つめ、身体を見つめる時間を持った。

1998年 新月(シバムーン)の夜、スピリチュアルな世界を学ぶ仲間たちとのパーティの場で、今の夫と出会った。
私は当日遅れて行ったので、彼がどういう人物なのかまるで知らなかった。
それでも、なんとなくその場の話題を引っ張っていく様子に「どういう人?」と思っていた。
深夜に庭でマキを積んで火を焚き、その周りで皆が思い思いに踊っていた時、ふと「私、この人と付き合うことになる」というイメージが浮かんだ。そのときは打ち消したが、驚いたことに、その1ヶ月後、私は彼に告白した。

付き合いだして4ヶ月後、彼から東京転勤の話が出た。
その時、不思議と「一緒に東京へ行こう!」という気持ちが抑えられなかった。
当時、年収1000万円以上の管理職兼技術職という仕事も、購入していたマンションも、なぜか未練はなかったし、生まれ育った名古屋を出るのも、すごく新鮮な気分だった。
ただ、仕事の引き継ぎには7ヶ月を費やした。
自分のわがままだというのも理解していたし、会社に迷惑はかけられなかった。

そして、彼と出会ってちょうど1年後に私たちは東京で部屋を借りた。
最初の1年は同棲だった。私自身が入籍することに抵抗があったからだが、そのため実家の母の逆鱗に触れ、母は実家の近所中に「娘が駆け落ちした」と触れ回ったらしい。
1年後に入籍して母の気持ちは収まり、数年後に高尾に家を建てて両親を招いた時は本当に喜んでもらえた。

そんな彼との関係もスムーズではなかった。
彼と私は生い立ちも、環境も、生き方も、食べ物の好みもことごとく違っていた。
昔流行った「動物占い」で相性診断した時、みごとにハートが2つに割れたマークが出たのを覚えている。
「あまりに違うから理解し合うのが難しい」ということだった。
「でも、それを乗り越えて理解し合えるようになったら最強です」と言われたことに望みをつないだ。

喧嘩をすると私は1ヶ月くらい口をきかなくなる。
仲直りして数日経つとまた喧嘩。
そんな日常に突破口をみつけようと、彼がある本を買ってきた。

「コンシャス・ラブ -二人の愛を育てる本(元気の出る心理学)」(ゲイ・ヘンドリックス著、キャスリン・ヘンドリックス著)

これは本当に名著だと思う。
この本をバイブルにして共に学ぶことで、二人の関係性を少しずつ変えることができた。
特に私は、自分の中に抑えこもうとしていた怒りと向き合うことができたように思う。

1999年 東京に引っ越して仕事探しが始まった。
彼は「コンピューター関係の仕事につけば?」と言うが、私自身それに疑問を持っていたのでその気にならない。
その頃、まだ「私が本当にやりたいことは何だろう?」と探し続けていた。

そんなある日、彼が「女性のためのビジネスセミナー」の案内を持ってきてくれた。
いつかは起業することも視野に入れて行ってみたら、というのだ。
時間はたっぷりあるので申し込んで参加することにした。

そこで一番感じたのは、参加している女性たちが皆、自分の夢(ビジョン)を持ってキラキラ輝いていたことだった。
私はまだ、自分のやりたいことがわからず、取り残されているような気持ちになった。
2日間のセミナーが終わり、落ち込んだ気持ちのまま、用事があって名古屋の実家に行く機会があった。
その帰りの新幹線の中、セミナーでもらった本を読んでいる最中に私は「ハッ」とした。

「そうか、私は起業したい女性たちのようになりたいのではなく、セミナーを開催している人たちのようになりたいんだ」と気づいたからだ。
それは本の中に書いてあったわけではない。本を読みながら夫の言葉を思い出すことができたのだ。

「本当にやりたいことは、怒りの中にあるんだよ」

彼に言われた時は意味がよくわからなかった。
私は、スピリチュアルな世界に出会うまで、自分の人生を深く考えることもなく、当たり前に進学して、就職した。
親や上司の望むことを精一杯やって結果を出してきた。
自分の望みよりも先に相手の望みを感じ取り、それを自分の望みとすり替えてきたように思う。
それがあまりにも無意識にできるようになっていたため、本当に自分がやりたいことが何か、わからなくなってしまったのだ。
そして当時の私は、自分を型にはめて自由を奪った親に怒りを持っていたのだ(今は違いますが^^;)。

「もっと早くそのことを知っていれば、自分はもっと自分らしく生きられた。そのことを若い人たちに伝えたい。」
新幹線の中で、自分がみつけた使命感に胸が熱くなり、酔いしれていたのを思い出す。

でも、いったいどうすればセミナーを開催する人になれるのか?

私は自分が受講したビジネスセミナーを主催している会社に直接、電話をした。
「セミナーを受講したものですが、雇ってください」と。

いつもの私なら「求人も出てないのに無理」とか、先に考えてしまうが、使命感に酔いしれているためか、すごいエネルギーだった。それまでの人生で一番、積極的だったかもしれない。
電話の相手もダジタジで、ともかく上司に相談しますという返事だった。
結局、セミナー運営の部署ではないが、物販のセクションのインターンシップなら面接しても良い、という返事をもらい、履歴書と職務経歴書、それに作文も書いて面接に行った。

物販でもなんでも、ともかくここで働きたいのだという熱意を伝えることができたのか、後日、代表が会いたいと言っているとの連絡があった。
ちょうどその頃、女性起業家とは別に学生起業家の支援を考えていて、そのためにはインターネットなどのITに関する知識をもった人材が必要だった。
そこにIT企業を退職した元管理職が、「何でもいいからやりたい」と言って来たのだから、どんな人物かと思って直接会うことにしたのだろう。
結局、私は学生起業家の育成プロジェクトに入ることができた。

そこで、多くの学生に会い、彼らが起業して経営者として成長していく姿を目にしてきた。
そして、有限会社3社、合資会社2社、NPO法人と投資ファンドの設立に関わった。
最初は、電話のかけかたも知らない学生達が、会社という現場を持ってグングン成長していく。
その実務面、メンタル面の両方に関わることができたのは、本当に充実していた。

ただ、数年で問題が発生した。
私自身の成長が学生起業家達の成長に追いついていけなくなったのだ。同時に、上司との意見の相違。
いろいろなことが重なって、軽度のうつになり会社へ行くことができなくなった。
何度か復帰を試みるがうまくいかず、結局4ヶ月近く休むことになった。
なんとか復帰したが、別の部署に配属されることになり仕事を始めたが、それは、本当にやりたいことではなかった。

その頃、ある方の助言で「独立する」という話が持ち上がった。
学生起業家のひとりと一緒に、若者をサポートするNPO法人を立ち上げようということになった。
そこで私は自分の心をみつめるセミナーを開催したいと考えていた。
会社を辞めて準備を始めたが、NPO法人の承認が降りる直前に、一緒に運営しようと考えていたパートナーに癌がみつかった。

2003年 彼女の復帰を待つ間、キャリアコンサルタントの勉強をしたり、コーチングのセミナーに行ったりした。
セミナーを開催するにも、過去に学んだスピリチュアルな知識だけでは足りないと考えたからだ。
あれこれ学んだが、自分にとって軸になるものがなかった。

2006年 夫の紹介で美容セミナーの無料モニターに参加した。
それが、潜在意識にアプローチして美肌を手に入れるセミナーだった。
通ううちに、その理論がとても面白いと感じるようになり、本セミナーにも通うようになった。

学ぶうちにどんどんその理論にのめり込んでいった。
本当に面白くて、これまでスピリチュアルな世界で言われていたことが、ひとつの理論で繋がる感じだった。
プログラミングの世界では、パターン認識が重要になる。
パターンの組み合わせによって、最適なプログラムを構築することができる。
逆に、難解なプログラムもパターンの組み合わせに分解することで、その意味が理解できることにもなる。
心や現実の世界もそれと同様に、理論を使ってパターン認識することができるようになる。

2008年 ここでも過去の経歴が役に立った。
HTML言語でホームページのメンテナンスができることを評価されて、パートで働くことができるようになった。
働きながら学び、カウンセラー兼インストラクターになることができた。

「この素晴らしい理論をもっと多くの人に知ってほしい!」
夢中で働いた。知恵を出し、ディスカッションし、時には大笑いするような職場だった。
私は仕事が面白くてしょうがないので、夫を放置し、半別居状態でも苦にならなかった。
一時は、私から離婚を持ちだしたこともあったが、彼の努力によりそれは回避された。

2012年 いろいろあってその組織から離れることになり、しばらく家に引きこもった。
夫は私を信じて、好きなようにさせてくれた。
時間に余裕ができたからと、海外旅行へも連れて行ってくれた。
ラスベガスへ行ったときは、夫の著書である「人生を変えたいときに読む本」の7日間のエクササイズを旅行中、毎日1つずつやることにした。自分をみつめなおす良い機会になった。

ここまでの人生を振り返って、結局「誰かに認められたくて頑張る」自分がいることに気づいた。
自分で自分の未来の為に頑張るのではなく、親や上司に認められたいから頑張るのが私の癖だった。
ただ、それも長く続けると上手くいかなくなる。その繰り返しだった。

そして、自分で自分の未来の為に頑張る自分に変わろうとしている。
真の意味で自立するということだと思う。
自分に責任を持つということだと思う。

その覚悟をして、自分のセミナーを開催しようと決意したとき、あの本「コンシャス・ラブ」を思い出した。
でも、私はラブだけでなく人生そのものを意識的にしたい。
そして「コンシャスライフ」という言葉がでてきた。

意識的に生きるということ。

私は、「現実から分析する」理論を学んだ。
そしてずっと前に、「感情を味わう」方法を学んでいた。

「現実の分析」は、とても左脳的だ。
「感情を味わう」ことは、とても右脳的だ。
その両者のバランスがあってこそ、意識的に生きるという事ができる気がする。
そして、その両者を体験してきた自分の過去は、本当に無駄がない!と思った。

2013年 セミナープログラムを作り、モニターを対象に開催。自宅等で個人セッションを継続。
2014年 シェアビズ渋谷Blossomを拠点に、コンシャスライフお茶会、個人セッション、グループワーク等を開催。ビジネスハート・プロデューサーとしてビジネス・コンサルをスタート。
2017年 Blossomオーナーの仁科英子さんとコラボで『潜在意識のカラクリを覗くお茶会』スタート
同年  『コンシャスライフ実践365セミナー』スタート

私自身もまだ実験段階。
だから、コンシャスライフ研究所なのだ。
それでも10数年前からずっと考えていた「もっと自分らしく生きるための方法を伝えたい」という使命を今、現実にする道を進んでいる実感がある。

私のビジョンは、
『コンシャスライフ(意識的に生きる)を学んで、豊かに楽しく成長し続ける日々をおくる人々が、各界でそれぞれ活躍している世界をつくりだすこと』

2018年8月8日

コンシャスライフ研究所  所長  井上 阿佐子

Posted by inoue