プロフィール

コンシャスライフ研究所 井上阿佐子

コンシャスライフ研究所
代表 井上阿佐子(いのうえあさこ)

もう20年以上、「自分とは何か」「人生とは何か」という探求の道を歩いてきました。
そして、『潜在意識のカラクリ』を知ってから、どのようにして潜在意識が現実を創り出しているのかを検証してきました。

『潜在意識のカラクリ』と『感情との向き合い方』。
私は、その2つを手に入れたことで世界が変わり、圧倒的に”楽”に生きられるようになりました。
この感覚をひとりでも多くの方に体験してほしい!
そう思うからこそ、私が学び・経験したことのすべて、このオンラインサロンでお伝えしたいと思っています。

コンシャスライフ・オンラインサロンは、潜在意識を最良のパートナーとして、豊かな人生をあなた自身が創りだしていくお手伝いをする場所です。

そんな場所を作りたいと思った私のプロフィール、生い立ちをご覧いただければ幸いです。

 

◆なんでも知っている人になりたかった子ども時代

1962年、愛知県名古屋市で生まれる。

小学生の頃から知識欲が旺盛で、図書室の本はほとんど読破した。また、学校から帰ると、毎日習い事に通っていた。 学習塾、そろばん、書道、ピアノ、クラシックバレエ、茶道・華道…。長続きしないものもあったが、自分から「やりたい」と言って始めたクラシックバレエは10年、茶道・華道は25年続けた。

高校時代は学生会に関わり、学園祭や体育祭などの運営に携わった。

 

◆コンピューターとの論理的な対話が大好きだった

コンピューターのプログラミングに関心を持ち、情報処理科へ進む。
卒業後は、医療機関のシステムを構築するIT企業に就職する。就職の決め手となったのは、コンピューターの機械言語に一番近いアセンブラ言語を使ったプログラミングを行う会社であったこと。コンピューターと1対1の論理的な対話が大好きだった。そこで、システムの構築を学び、数十億円規模のシステムの重要部分を設計・構築するなどした後、後進の育成にあたるため管理職となり、8人の部下を持ってチームを作る。

 

◆スピリチュアルな世界に出会い自分探しを始める

1997年、35歳の時、友人の紹介であるヒーラーさんに出会い、そこでスピリチュアルな世界のことを学ぶ。それまで順調に仕事をしてきたにも関わらず、自分の未来に希望が感じられなくなっていることに気づき、

「私は本当に自分のやりたいことをやっているのだろうか?」
「この先、10年、20年、今の延長線上でただ生きて、楽しいのだろうか?」

という疑問と、それまで気づかなかった身体の緊張(こわばり)を感じるようになる。身体はあまりに固まっていて、痛みさえ感じなくなっていたのだ。

そこで、瞑想や気功・ヒーリングなど、とにかく「心からやりたいと思うことを探すため」、自分の心を見つめ、身体を見つめる時間を持った。

 

◆破天荒な夫と出会い、東京へ

1998年 新月(シバムーン)の夜、スピリチュアルな世界を学ぶ仲間たちとのパーティの場で、今の夫と出会った。つきあいだして4ヶ月後、彼から東京転勤の話が出た。その時、不思議と「一緒に東京へ行こう!」という気持ちが抑えられなかった。

当時、年収1000万円以上を得ていた仕事も辞め、購入したマンションにも未練はなく、生まれ育った名古屋を出るのも、すごく新鮮な気分だった。

 

◆東京で、本当にやりたいことを見つける

1999年 東京に引っ越して仕事探しが始まった。その頃はまだ「自分が本当にやりたいことは何だろう?」と探し続けていた。

手当たり次第に勉強会やセミナー、フィットネスクラブなどに通っていたある日、「女性のためのビジネスセミナー」に参加した。

そこには、自分の夢(ビジョン)を持って参加しているキラキラ輝いた女性達がいた。私はまだ、自分のやりたいことがわからず、取り残されているような気持ちだったが、セミナー後に気づいた。「私は起業したい女性たちのようになりたいのではなく、セミナーを開催している人たちのようになりたいんだ」と。

でも、いったいどうすればセミナーを開催する人になれるのか?

考えた末、受講したビジネスセミナーを主催している会社に直接、電話をして交渉し、採用してもらうことができた。いつもの私なら「求人も出てないのに無理」とか、先に考えてしまうが、使命感に酔いしれているためか、すごいエネルギーだった。それまでの人生で一番、積極的だったかもしれない。

 

ちょうどその会社では、新たに学生起業家を支援するプロジェクトを考えていて、そのためにはインターネットなどのITに関する知識をもった人材が必要だった。そこで私は、学生起業家育成プロジェクトのメンバーとして入社することができた。そこでは多くの学生に会い、彼らが起業して経営者として成長していく姿を目にしてきた。そして、有限会社3社、合資会社2社、NPO法人と投資ファンドの設立に関わった。最初は、電話のかけかたも知らない学生達が、会社という現場を持ってグングン成長していく。その実務面、メンタル面の両方に関わることができたのは、本当に充実した日々だった。

 

◆軽度のうつとなり、新たな道を模索

ただ、数年で問題が発生した。私自身の成長が、現場を持つ学生起業家達の成長に追いついていけなくなり、同時に上司との意見の相違。いろいろなことが重なって、軽度のうつになり出勤できなくなった。何度か復帰を試みるがうまくいかず、当時のメンターの助言で「独立する」という話が持ち上がった。

私自身も、スピリチュアルな経験を活かした『自分の心をみつめるセミナー』を開催したいと考えていたので、ひとりの学生起業家と一緒にNPO法人を立ち上げる準備を始めた。ところが、NPO法人の承認が降りる直前に、一緒に運営しようと考えていたパートナーの女子大生に癌がみつかった。

 

2003年 彼女の復帰を待つ間、キャリアコンサルタントの勉強をしたり、コーチングのセミナーに行ったりした。セミナーを開催するにも、過去に学んだスピリチュアルな知識だけでは足りないと考えたからだ。あれこれ学んだが、自分にとって軸となるものは得られなかった。

 

◆潜在意識のカラクリを知る

2006年 ある美容セミナーの無料モニターに参加した。それが、潜在意識にアプローチする独自の理論をベースにしたセミナーだった。通ううちに、その理論がとても面白く感じるようになり、本セミナーにも通うようになった。学ぶうちにどんどんその理論にのめり込み、これまでスピリチュアルな世界で言われていた多くの言葉が、ひとつの理論で繋がる感覚だった。

プログラミングの世界では、パターン認識が重要になる。パターンの組み合わせによって、最適なプログラムを構築することができるし、逆に、難解なプログラムもパターンの組み合わせに分解することで、その意味が理解できることにもなる。

この理論を使うと、心や現実の世界もそれと同様に、パターン認識できるようになるのだ。

 

その後、講座の運営会社に就職し、スタッフとして働きながら学んで、講座インストラクター兼カウンセラーになることができた。

 

◆仕事に夢中になり、夫とは離婚の危機

「この素晴らしい理論をもっと多くの人に知ってほしい!」

当時の私は、夢中で働いた。仕事が面白くてしょうがないので、夫を放置し、半別居状態でも苦にならなかった。一時は、私の気の迷いから離婚を持ちだしたこともあった。

 

夫は10代からスピリチュアルな世界に触れ、アメリカ・インド・ネパールなどを放浪し、何人もの覚者(かくしゃ:悟った人)と言われる人達と交流のある人物だった。それだけに、世間一般の常識的な私からは、非常識と感じることや、きちんとしていないと責めることも多かった。特に私は、自分から「◯◯してほしい」と主張するのが苦手だったので、自分の気持ちを察してほしかった。なのに、彼と私は生い立ちも、環境も、生き方も、食べ物の好みもことごとく違っていて、察することのできない彼は、私とどう接すればよいのかわからなかったと思う。

つきあい始めた頃、「動物占い」で相性診断した時、みごとに2つに割れたハート・マークが出たのを覚えている。相性は「あまりに違うから理解し合うのが難しい」ということだった。「でも、それを乗り越えて理解し合えるようになったら最強です」とも言われた。

 

そんな夫婦関係も夫の忍耐と一緒にいる時間によって落ち着いていたのだが、半別居状態のときに「夫婦でいる意味はあるのだろうか?」という疑問を私が持ち、離婚もありだと思ったのだ。しかし、それは、彼の努力により回避された。

 

◆組織を離れ、真の意味での自立を目指す

2012年 社内の問題から、私はその組織から離れることになり、しばらく家に引きこもった。夫は私を信じて、好きなようにさせてくれた。

ここまでの人生を振り返って、結局いつも「誰かに認められたくて頑張る」自分がいることに気づいた。自分で自分の未来の為に頑張るのではなく、親や上司に認められたいから頑張るのが私の癖だった。ただ、それも長く続けると上手くいかなくなる。その繰り返し(パターン)だった。

 

それが自分の思考パターンであることに気づいた時、これからは誰かに認められたくて仕事をするのではなく、自分で自分の未来の為に頑張ろうと思った。それが、真の意味での自立だと思う。その覚悟をして、自分のセミナーを開催しようと決意したとき、夫と意識的に向き合うために読んだ本「コンシャス・ラブ -二人の愛を育てる本(元気の出る心理学)」(ゲイ・ヘンドリックス著、キャスリン・ヘンドリックス著)のことを思い出した。そして「コンシャスライフ -意識的に生きる-」という言葉がでてきた。

 

◆意識的に生きるということ。

私は、「現実から分析する」理論を学んだ。そしてずっと前に、夫との関係から「感情を味わう」方法を学んでいた。「現実の分析」は、とても左脳的だ。「感情を味わう」ことは、とても右脳的だ。その両者のバランスがあってこそ、意識的に生きるという事ができると思っている。そして、その両者を体験してきた私の過去は、本当に無駄がない!と思った。

 

2013年 セミナープログラムを作り、モニターを対象に開催。自宅等で個人セッションを継続。

2014年 シェアビズ渋谷Blossomを拠点に、コンシャスライフお茶会、個人セッション、グループワーク等を開催。ビジネスハート・プロデューサーとしてビジネス・コンサルをスタート。

2017年 Blossomオーナーの仁科英子さんと『潜在意識のカラクリを覗くお茶会』スタート

同年  『コンシャスライフ実現365セミナー』をスタート

2019年 コンシャスライフ・オンラインサロン開設

 

私自身もまだ実験段階だと思う。だからこそ、コンシャスライフ研究所なのだ。

それでも、以前からずっと考えていた「もっと自分らしく生きるための方法を伝えたい」という使命を今、現実にする道を進んでいる実感がある。

 

私のビジョンは、『コンシャスライフ(意識的に生きる)を学んで、豊かに楽しく成長し続ける日々をおくる人々が、各界でそれぞれ活躍している世界をつくりだすこと』である。

 

好きなものは、猫・お好み焼き・高いところ\(^o^)/

 

2019年4月28日

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